こんにちは、「メチャクチャにヤバイ就活生」こと近藤佑子です。
私の誕生日企画としてリリースした「メチャクチャにヤバイ就活生・近藤佑子を採用しませんか?(以下、メチャヤバ)」がとてもおおきな反響を呼び、早いもので2ヶ月が経過しました。そしてこの度、サイトを通じて内定をいただくことができました。当サイトでは、「メチャクチャにヤバイ就活生」としての近藤佑子の物語を終わらせるために、メチャヤバの「ゆうこの就職活動家日記」を書き足す形で、ちょっとまとまった文章と、この二ヶ月間何があったかということを発信していきたいと思います。
ちなみに、真面目に書いたのであまりおもしろい話は期待しないでください。そして言いたいことを言い尽くしたのでかなり長いです。
就職活動をはじめる(サイトブレイク以前の就活観に関しては、「糸井さん、僕を『面接』してください。」を読んで(「kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズ」2012.4.28)を参照)。
企画経緯、実装に関しては、
に詳しい。また、作成意図に関しては
というエントリを参照いただきたい。
20時ごろ「100人の他己分析」と題して誕生日メッセージの代わりに推薦文を送ってもらう企画を発表。翌朝まで十数件のコメントを頂く。
近藤佑子の誕生日。
11:46「メチャクチャにヤバイ就活生・近藤佑子を採用しませんか」正式リリース。
サーバーが落ちるなど→hnnhn氏に対応してもらう(詳しくは
就活について(「hnnhnのブログ」2012.5.23))
ねとらぼの記事よりmixiニュースのトップになり、数年間連絡をとってなかった中学時代の友人より電話がかかってくる。
採用の意思を示してくださった方に返信。
サイトがブレイクした直後の混乱・不安は日記を参照。
ほとんど寝ていないまま、朝から研究室プロジェクト、午後はゼミ発表。
夜は、いつもお世話になっているギークハウス水道橋のイベントに参加。誕生日を祝ってもらったり、今後について相談したりなど。
フリー編集者の米田智彦さんからの取材をうける。(米田氏のメルマガのサンプルに前編が掲載ストリートワイズな人たち 第1回:メチャクチャにヤバイ就活生・近藤佑子(前編))
バーグハンバーグバーグ社様に謝罪のメールを送る→後日「次はコンセプトから完全オリジナルで作れるといいですね。就活頑張ってください。」という返信をいただく。
もともと第一志望であったが、一度不採用になった企業より「再度面接しませんか?」とメールをいただく。今後の企業との対応に不安を感じていたが、安堵し、もう受かったような気分でいる。
前掲のブログ更新。 ネットメディアの記者の方より取材
メチャヤバのバズは、非常に面白く貴重な体験であったと同時に困惑や不安の連続であった。多くの方に誕生日をお祝いしてもらえたり、応援の言葉をいただいたり、サイトを褒めていただいたりと嬉しいことも多くあったのだが、ここに残しておきたいと思ったのは、なぜか、毎日泣くほど困惑し、どう切り抜けていこうかと考え抜いてきたことのほうが多い。
バズが起こった当初は、フォロワーやリプライが続々と寄せられる状態に半ばパニックになっていたり、記事に私のことが書かれたりと動揺を隠せなかった。また、こんなことは滅多にあることではないと、Twitterの発言等あらゆるログをとり、後々の分析に使いたいという思いが先行していた。しかし、すこし落ち着いたところで「企業に対応していかないといけない」という事実を突きつけられ、どうしたらよいのかと悩んだ。「採用したい」という声が、きちんと数えられていないがTwitter、Facebookあわせて約50件ほど来た。16日は、もう全く判断できる状態ではなく、利用したことがあるサービス、見たことがある社名、共通の知人がいそうな方以外はどの会社も同じに見えた。とりあえず企業への返信は「ゼミ発表も近いのでちょっと待って欲しい」とコメントした。しかし、もう頭が全く働かない状況だったのと誕生日だったのもあり、友人に誘われカラオケに行った。友人に心境を話したり、カラオケで歌ったことは(体調不良により早々に帰ったが)心の癒しになったが、この行動を咎める意見も後に何件か見られた。
この時、私はコンテンツを発信して終わりではない、「企業と対応し、私のすべての行動が評価の対象となる」ということを強く意識させられた。ゼミ発表の準備があるといっておきながらカラオケに行ったことは私の心の弱さであったし、それを発信したことも認識が甘かったとは思う。それでも、私はたぶんああするしかなく、友人とカラオケにいかないのであれば一人で寝こむか泣いていただろう。そうは思うが、私が軽率な行動、不快にさせる行動をとってしまったことが明るにみなった場合、否定的な意見が見られ、最悪拡散され、炎上するに至るだろう。
また、せっかく話題になったのだから、できるだけいい形で就活を終わらせたいと思っていた。自分に対する驕りといってもいいかもしれない。当初の目的は、Webサイトを企画し、実装できる能力をプレゼン資料として普通に就活をするつもりだった。せっかく興味を持ってくださる企業が多くても、私に判断する目を持っていない。業界研究さえちゃんとやっていないのだ。企業の人事には、就活生を見る目が蓄積されているかもしれないが、私には「いかに企業を判断するか」その基準をどうすればいいのか、困惑したのだった。
私は元より今も容姿へのコンプレックスがあった。今は、容姿がどうてあろうと仲良くしてくれる人ばかりで、気にせず幸せに生きていっているのだが、今でも自分の姿を鏡で見ること、写真を撮られること、自分が写っている写真を見ることに対する抵抗は大きい(取材時の写真撮影でも「あまり顔を写さないでほしい」とお願いしている)。そんな私であるが、Twitterのアイコンに「自分のアイデンティティを感じられるもの」を使用したいという思いがあったため、友人が「この写真かわいい」と言ってくれた写真をアイコンに使った(長かった髪を自分で切り落とした際の写真である。片方だけ短い)。それがメチャヤバのTopロゴの写真だ。また、メガネを片手で持ち上げている方の写真は、Facebookのアイコン写真として自ら撮ったものだ。なぜその写真をメチャヤバで使用しているかというと、手持ちに自分が写った適当な写真がなかったのと、これらのイメージは、私にとっては、インターネットで出しても大丈夫な「私の承認を経ているイメージ」であるからだ。これらをTwitterやFacebookで公開した時には、特に意見はないかあっても好意的なものだった。TwitterやFacebookでは、現実と連続したゆるい共同体のようなものとすると、キャズムを超えたことにより、「ヤバイ就活生」はバーチャルのものとして言及されるようになったように感じた。私も2chまとめをよく見ていて、女性の顔写真が出てくると「ブサイク、チェンジ」「ノーチェンジ」など、女性の容姿への言及がまず先だ。このようなレベルまで私の存在が認知されたんだなあと思うのと同時に、否定的な意見を見つけるとヘコんだ。女の子だもん。
苦しみばかりではない。バズの当日、Twitterでこんな意見があり、興味深かったのを覚えている。
「失礼な事を言うつもりではないけど、この方が非常に美人でサイトのデザインやグラフィックとかから幸せにじみ出る感じだったなら逆にこう話題にならなかったかも。」
この発言を見て思ったのは、容姿や生き様、性格など、コンプレックスに思うこともあったが、そのコンプレックスを、逆に私らしく生きるのに、うまく使えたんじゃないかなあということ。
この思いは、奇遇にもメチャヤバの座右の銘ともリンクしている。「世の中の歯車となるより、世の中を味付けする調味料になろう」とは、お気づきの方も多いと思うが80年代のジャンプの漫画「ハイスクール!奇面組」の主人公、一堂零のものだ。私はこの漫画およびアニメが大好きなのだが、奇面組というお世辞にも容姿がいいと言えない男子学生たち(でも見慣れると可愛く見える)が、自分の容姿を気にしてコソコソ生きるより、個性的に生きていきたいと主張した文脈で発言された言葉だ。これを読んだ当時私は中学生だったが、ひどく感銘を受け、涙したのだった。
当時の心境を語るに、どうしても無視できない現象がある。学費支援プラットフォームであるStudygiftの存在だ。リリースのタイミングが奇しくも一日違いであったこと、支援対象の坂口綾優さんと近藤が、就活/女子学生/セルフブランディングとかいったキーワードで比較されることがちょいちょいあったこと、そしてさらに坂口さんや企画者のヨシナガさんと、個人的に面識があったことから、動向は意識していた。もともと、ヨシナガさんや坂口さんのクレバーさや強さ、数字を意識してバズらせる能力は「すごいなあ、真似できない」と思っていて、彼らがコンテンツを作る姿勢から、私自身けっこう影響をうけていた。
結果としてともにバズを引き起こしたが、坂口さんの徹底的な客観性と、近藤のわたくし性の強さ、両者の手法はかなり相違があるように思う。というか、私の超個人的な自分語りがなぜあんなに受けたのか、未だにわからないのだが。。Studygiftが半ば炎上とも言えるほど議論されているのを目の前で見ていて、「私もああ成り得たかもしれない」という恐怖があったと同時に、私の影響力の限界のようなものも感じていた。Studygiftが、奨学金制度や大学など公なものに問題提起をしていったとしたら、メチャヤバは就活の個人的な鬱憤ばらしに過ぎない。私もちょっとは問題提起をしようと、後述する逆エントリー方式などをとってみたりしたが、私自身、自分がやったような就活を、世の中のシステムとして実装することが是なのかよくわからない。だから私の活動はあくまで「私の就職活動」の域を超えず、議論はシュリンクしたんだろうと思う。
はてブやTwitter、メチャヤバを取り上げた記事で、「女性が急に有名人になることを危惧」したコメントも割と見られた。私としては「メチャヤバのどこに女性性があるだろう、、うさぎ柄のタイツぐらいじゃないのか?」と思うのだが、過去にネットで炎上した女性を引き合いに出し「調子に乗るな」とまで言われた。当時の私は炎上がとてもこわかったので、調子にだけは乗るまいと誓って、その後はかなり慎重に、行動に説得性を持たせてから動いていた。要は嫌われたくなかっただけなんですけどね。就活フォーラムへの登壇のオファーがあったが、自分が就活という文脈で露出するのは、自分のやり方の是非もわからないのに、是として啓蒙するのと同じだと思い、すべてお断りした。テレビ出演の話もいくつかあったが、自分の見せ方が確認できないのと、私の顔が出たら炎上する!と思い、断った。自分の表象のされ方ぐらい自分でコントロールしたいと思っていた。私が自分自身で書けることは、自分のブログなどで発表することを最重要とし、私では記述できない、専門値やメディアの特性を利用した言説を生み出せるであろう取材なら喜んで受けた。 p>
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以上のような困惑を抱えていた私はどうしたかというと、まわりの信頼出来る人たちの意見を大事にしていた。悩みや不安があると、企画案を一緒に考えてくれた友人や、長年の付き合いの友人などに相談したり、Facebookに書き込んで意見をもらったりした。メチャヤバはできるだけ私の現状を素直に記述したつもりだが、やはりパブリックイメージと実際の私との乖離があると感じ、メチャヤバ以前より私のことをよく知る人を頼りに、「就職活動の成功」を最上命題とし、慎重すぎるほどゆっくり動いていった。「まわりにブレーンが多いね」と言われることもあったが、手に届く範囲のまわりの方々に本当に助けられたと思っている。
メチャヤバのバズの直後は、前述のように私に興味を示していただいている企業とどのようにやり取りしていけばいいか、不安を感じていた。「興味を持ったところからどんどんアプローチしたらいい」とアドバイスいただいたが、その判断基準も自分でよくわからず、合同面接イベントなどを開催したらどうかという案まで出ていた。そんな最中、メチャヤバ以前よりずっと行きたいと思っていて、一度不採用になった企業より「再度面接しよう」と連絡があったことから心境は一変する。私は、もう今後の就活で落ちることはほぼ無いだろうと思っていたので、非常に嬉しかった。その企業は、自分が既に知っていて入社したい企業であること、メチャヤバ以前の私を知っている社員の方がいること、私の力で一度不採用にした決定を覆すことができたこと等により、そこに受かるのが私にとって一番いいのではないかと思っていた。なので、第一希望の企業が他にあるのだけど、それでもいいかということを了承いただきたいなと思ったこと(折角お時間を取っていただくので・・・)、いままでよく知らない企業に訪問し、面接中に色々教えていただこうと思っていたので、その内容をレポートしていけたら楽しそうだと、こうしたことを了承いただいてから私との面接を「エントリー」してもらう、KondoMeetingのコンセプトは固まっていった。
メチャヤバ中も、当サイトでも「就職活動家」と名乗っているが、このKondoMeetingは、今思えば一種の社会実験のようなつもりでやっていた。ひとつは、就活の苦しさを生む点のひとつとして、基準の不透明さが度々指摘されているが、KondoMeetingではプロセスをオープンにしていきたく、KondoMeeting、その後(「kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズ」2012.6.5)においてエントリーしていただいた企業の数を絞る、その判断基準を公開しようとした。また、メチャヤバにも書いたが、就活特有のクローズドな感じがあまり好きではなく、企業が発している内容は、もっと共有して面白いものなのではないかと思い、面接レポートに挑戦しようとした。
メチャヤバは、こんなに流行るとは予想していなかったので、ある意味の気楽さがあったが、KondoMeetingは、自ら流れをつくる恐怖があった。ほんとうにこれでいいのかと不安に思った。生意気だと批判されるかもしれないと不安だった。結果、好意的な意見が多く、エントリーも14件いただき、イタズラは全くなかったことにとても安堵したのだった。
唯一、サイトブレイク以前より生き残っていた企業の最終面接(5月31日不採用の通知)
KondoMeetingをリリース
CoffeeMeetingの運営者様にパロディ許可願いのメールを送る→心よく許可してくださり、ほっとする。
ネットメディアの記者の方より取材
KondoMeetingエントリー締切。14件のエントリーがあった。
研究室のプロジェクト、オープンキャンパス等で忙しくなる。
ヤバイ就活生ステッカーを作成。カブチネで配布する。
14件の逆エントリーを
1.Facebookでご担当者様との共通の友人の多さ
2.企業で働いている方を知っているか
3.業務内容への興味
という評価基準において5件にしぼり、メールにて通知。
採用基準等に関してはブログで発信、企業に連絡。
詳細は、KondoMeeting、その後(「kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズ」2012.6.5)参照
朝日新聞社より取材。
KondoMeetingにおいて「面接をレポートする」と公言し、ブログもしくは当サイトに掲載する予定にしていたが、1ヶ月間、どのように書こうかずっと迷ったあげく、取材や執筆の難しさを感じ、断念するに至った。採用したいと言ってくださった方で、「面接のプロセスを公開するのは難しいので辞退します」とご連絡いただいた方もいらっしゃり、また、面接してくださった方、ブログの読者の方で楽しみにくださっている方もいる中で、期待に答えられず、大変申し訳ありません。
本当は、941さんのブログにあるような企業訪問のイメージがあり、また、私のブログでも、はてな東京オフィスに行ったレポートを練習がてら書いてみたりしていて、会社の雰囲気がわかる、読み物として楽しいものにしたいと思っていたが、予想以上に就活は甘くなかったなと思い、書こうとすると苦しい思いが大きくなった。
代わりといってなんだが、面接全体を通した感想を述べたいと思う。
面接実施日程:6/11〜14に4件、6/26に2件
面接企業:インターネット関連企業3件、Webメディア企業1件、ルームシェア関連サイト運営1件、林業に特化したベンチャー企業1件
いきなり社長面接、最終面接だったこと、志望動機を聞かれなかったこと、後の質問の時間を多くとっていただいたこと等があった。私も特に準備はせず、何か違うことといえば面接中にメモを取ったことだけだ。私は、メチャヤバにおいてなにかすごく頑張ったことも言えなければ、何ができる/何がしたいとも書いていない。サイトと企画パワポをみたら、自分の心情、現状に加え、フロントのデザイン、コーディングもできなくはないし、企画力や文章力もなくはない、ということが伝わるだろうことを意図して作成した。だから、私はあれを見て、「近藤佑子が何に向いているか判断してくれ」とさえ思っていた。しかし結局は「エンジニアとディレクター、どちらがやりたいか」や「自分が興味あることを熱く語る」ことを求められるなど、「自分が何をやりたいか考える必要がある」と思い知った。
面接の結果は、不採用が2件、次の選考に進んだのが1件、合否を出さない形で面接が終了したのが3件だった。元々志望していた企業からは不採用になった。知人づてでリークしてもらった不採用の理由は「会社に入って何がしたいか見えてこない」だった。いくらサイトをバズらせたからといって、それまで10社落ち続けた人間と人物は変わらないわけで。この面接の時期、私は並の就活鬱に陥り、まわりを心配させたことだろうと思う。この時期自己批判の意味も込めて書いたのが、私はWebサイト制作を通じて何を実現したかったのか(「kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズ」2012.6.17)のブログだ。
最初に面接した企業では、バズらせた裏にある私の行動指針のようなものを聞かれ、「面白いことをしたいという気持ちだ」と答えたら、「面白いことをしたいのはみな一緒で、つまらないことをどう面白くするかということが大事ではないか」と言われた。質問にはうまく答えられなかった。また、研究内容について話したのだけど、うまく伝えられず、突っ込まれてしまい非常に悔しかった。
また別の企業の面接は、面識のある方が面接官だったので、半ば人生相談のような「エンジニアとディレクター、どっちが向いてるんでしょうねえ。。」みたいなことを話して、面接しつつ相談に乗ってもらっていた。そこには不採用になったのだけど、メールで不採用の理由を教えていただいたことは、(もともとやっていたのかもしれないけど)配慮していただいたのかもと思った。
メディア系企業の面接では、面接をレポートすることに対して「プロセスをオープンにするのは面白い」と評価してくださったことは、「面接のレポート」をして何か意義があるのだろうかと不安に思っていたので、非常に安堵した。この企業は次の選考に進めたのだが、「うちに入ってどんなことをやってみたいですか」という質問に「文章を鍛えたいです」と正直に答えたのだけど、そんなんでよかったんだろうか・・・。
また、ある企業の社長さんからは、私がまわりの期待に応えながら義務感で就活しているように見えたのか「もう就活やめたら?」と言われ、胸に刺さった。
ルームシェア関連サイトの運営者さんとは、面接の最初にそのサイトの現状について詳しく教えてくださり、よくわかった上でお話することができた。「うちは、他にどこも決まらなかった時に保険ぐらいに考えてくれてもいい」と言ってくださり、雇用関係での話と言うよりは、単純に互いの関心から「お会いできてよかったなあ」と思えた。結局私は、面接を通じてお友達を作りたかっただけなのかもしれない。
林業に特化したベンチャー企業の方とお話した際は、林業への思いを伺ったのだが、使命感のような、大きなビジョンを感じ、そのような対象があることをうらやましく思った。
バズったおかげですっかり調子にのっていたが、結局普通に選考され、落ちるところには落ちた。メチャヤバは「縁」が出来たに過ぎないんだと思った。その縁を作れただけでも価値あることだと思うけど。私は私で、もっとやりようがあったかもしれない。とある方にアドバイスいただいたのだが、面接の際に、「サイトを見てどのような点に興味を持ったのか」「企業でどのような働きをしてくれそうと思ったのか」と聞けばよかったと思う。結局は企業と私の意向のマッチングであり、私はサイトを使って出せる情報は出しているつもりなので、そこの逆転はあったのではと。もっと攻めても良かったのかもしれないけど、KondoMeetingをつくったところで、力尽きた。
今回面接を通じて「何がやりたいか」を手探りで探っていく必要がある認識させられた。また一方、「どうせやりたいことなんて変わるんだからあんまり考えなくてもいいよ」という声に、救われもした。
私はもともとコミュニケーションに自身がなく、自分に興味を持ってくれる人となら話ができるが、そうじゃない場合、あう人/あわない人の差が激しいと思っていた。それは、私が「人にわかるように伝えること」が苦手で、うまくできなかったんじゃないかなと思っている。そのことは就活の面接でも言えて、素の自分が緊張しなくていいやと思って、特に準備せずに行っていた。そのあたり、いい点/悪い点と両方あったと思う。
面接を通じて、以上のような自分の課題が見えてきたと同時に、私はWebを使って自分の思っていることを伝え、私に興味を持ってもらうことに成功した。このような自分の課題を解決し、生きづらさを解消してくれるテクノロジーとしてのWebに、改めて可能性を感じた。
プライベート、研究を兼ねて京都に行く。東京の現実から逃げたかった。 KRP町家スタジオに行き、現状を相談。 BHBシモダさんに会う機会があったので土下座して謝る。就活がんばってと激励の言葉をいただく。少し気が楽になる。 京大オケ時代の先輩でパリに留学中の大久保さんよりSkypeインタビュー 出来上がった記事はこちら→「近藤佑子/kondoyuko ーセルフ・プロモーションの手法とパフォーマンスー(self promotion and performance)」(「salon de mimi」2012.6.23)
大学のキャリアサポート室のカウンセリングを受けた。 キャリアサポート室にいったこと(「kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズ」2012.7.6)
ネットメディア系企業より内定をいただく。
本サイトの構想を考えはじめる。
朝日新聞社追加取材。
ゼミ発表。
調査で京都へ。
当サイトリリース。
朝日新聞の朝刊に逆就活の取り組みが掲載(私を採用したい企業募集 サイトで呼び込む「逆就活」2012年7月25日朝日新聞朝刊)。
そんなこんなで、「ヤバイ就活生」は内定が取れた。内定の連絡をいただいた時は、安心した気持ちもあったが「あれ、うかっちゃったけど、これでいいのかな」といった、困惑の気持ちが大きかった。「自分から行きたいとおもって受けたところではない」という気持ちがあり、(内定先でな何ができるかというところも含めて)自分がやりたいこと、受けたいところを引き続き探そう、といった心持ちでいた。内定がとれたことは、インターネットで発表はせず、個人的に報告するに留まった。そしていままで、このサイトの準備をしつつ、研究でゼミ発表をしたり、京都に調査にいったりなどして過ごしていた。
私がこれから内定した企業に行くとしても、就活を続投するにしても、「自分はなにをしたいのか」という自分に向き合うことが必要だなと思っていた。そしてそれは、自分の顔が写っている写真を見て、それを認めるくらいに苦しいことだ。けれど、しばらくたった最近では、「こんな勉強したいなあ」とか「こんな風に生きたい」などやってみたいことがふわふわと浮かぶようになってきた。私の生き方の基本方針として「出来るだけ後の選択肢が多くなるような道を取る」というのがあるのだが、今までの私の状態は、あまりにも変数の多い式で、茫漠としすぎていたのだと思う。ここに「内定」という具体的な値が入れられたことによって、ちょっとクリアになったんじゃないかなと。私はここで初めて「内定してよかった」と思うに至った。いつの間にか、いままで落ちた企業への未練はなくなっていた。
内定がとれたのはメディア系の企業だ。メチャヤバは「近藤佑子が何に向いているか判断してくれ」というつもりで作成したことは既に書いた通りだ。今回、内定という形で、適正があると(たぶん)判断していただけたわけだし、思えば、いままで面接してきた、その会話や評価などの一つ一つが、私への示唆だったんだなあと、思った。
内定した企業に、行くかどうかはまだ決めていない。内定先企業と面談したり、まわりに相談したり、自分でよく考えて、決めたいと思う。
内定が取れたことで「ヤバイ就活生」の就活は終わった。これから先もうちょっとだけ続くのは、近藤佑子の就活だ。そして近藤佑子は今度はまた、別の形の物語を生み出せたらと思うのです。しばらくは修士論文かな。そして、春からはまた、働く人として物語を作っていけるといいなと思う。